醒めない夢のように 2


 のんびりとビデオを見て過ごした後、二人は狭い台所で一緒に夕食を作った。
 そして何故か一人暮しをしている江藤より、冴木の方が料理の技術は上だということが判明する。現在は寮生でもあることだし、たまに夜食を作るくらいだと言っていたが、基本的に器用なのだろう。手際はともかく、包丁捌きは妙にさまになっていた。逆に江藤の手元の方が覚束ない動きをしていて、普段は一体どうしているのかと心配されたくらいである。とりあえず白飯は問題なく炊くことが出来ると胸を張ってみたのだが、その場合主に作業をするのは人間ではなく炊飯ジャーではないかと冷静に返されて、返答に詰まった江藤であった。
 互いのレパートリーの関係で和洋折衷な食卓になってしまったが、二人で作った夕食は予想以上の出来映えだった。ちょっとだけ、という条件付でビール片手にゆっくりと食事を取り、再びひと騒ぎしつつ後片付けをする。判ってはいたことだが、全てを終えて一休みした頃には、結構な時間帯になっていた。
 さて、こうなると、相手の出方が気になってくる。
 他愛のない会話を交わしながらも、江藤は少々緊張し始めていた。お茶を飲む動作も、些かぎこちない。この後冴木がどうするつもりなのか、どうしたいのか、そして自分はどうしたらいいのか、実はビデオを見ていた時から随分色々考えていたのだ。考えざるを得ない状況になったからでもあるのだが。
 背後から抱き締められる形で、促されるまま冴木に寄り掛かっていたので、気付いてしまったのである。相手の体の変化に。
 背中に当たる違和感の正体に気が付いた時は一瞬硬直してしまったのだが、冴木は江藤の体に腕を絡ませているだけで、特に何も仕掛けてはこなかった。だから江藤もそのまま気付かなかったふりをしていたのだが、冴木が江藤に対してそういった欲求を抱いていることは事実、なのだろう。
 江藤だって別に嫌な訳ではない。それに、せっかく得た二人きりの時間なのだ。少しでも長く相手と一緒にいたいと思うのは当然だろう。そもそも自宅に誘ったのは江藤の方で、泊まりに来いと直接言った訳ではないが、明日は日曜で、学校は休みで。
「先生」
「え、あ、な、何だ?」
 ふいに呼ばれて、思わず声が引っ繰り返る。冴木はきょとんと目を見開いてから、くすりと小さく笑った。
「どしたの、ぼーっとして。もう眠い?」
「なわけないだろ、子供じゃないんだから」
 ムキになって反撃しておいて、子供じゃないも何もないのだが、江藤は一応そう返す。すると冴木は一瞬真顔になって、ふっと目を伏せた。
「……そうだね」
 呟くように言って、再び顔を上げる。
 そして冴木は、所在無げに湯呑の縁を撫でていた江藤の指先を、きゅっと掴んだ。
「…あ」
 大きな掌で握られたまま、その手を下へ降ろされる。テーブルに押し付けられた手首から、硬くてひやりとした感触が上ってきたが、捉まえられた指はそこだけ別のもののように熱くなっていた。
 冴木は掴んだ手に少し体重を掛けるようにして、身を乗り出してきた。近付いてくる瞳は、まっすぐに自分を捕らえている。そのことが、江藤は素直に嬉しかった。
 そっと口唇が重ねられる。啄むように触れてくる柔らかい感触が心地好く、江藤は自分も相手の唇を食むようにして、その温もりを味わった。
 触れてきた時と同じように静かに唇を離し、冴木は江藤の頬に軽いキスを落とす。小さく立てられた音に瞼を上げると、瞳を覗き込んでいた相手と至近距離で目が合った。既に心臓は激しく波打っていたが、冴木がふっと微笑んだのを見て、鼓動はいっそう加速度を増す。
「……先生…」
 呼ばれたのか、それとも呟いただけなのか判らないくらい、微かな声だった。じっと見つめ返す江藤に、冴木は何故か困ったように笑って、捉えていた手の力を緩めた。そのまま甲を軽く撫でられて、江藤の指先に力が篭る。
 しかしその後冴木が口にしたのは、予想とはまるで相反する台詞だった。
「…じゃあ、俺そろそろ帰ろうかな」
 すっと指を離して、冴木が微笑む。江藤はゆっくりと瞬きをしながら、相手の言葉を頭の中で反芻し、確認した。
 ……帰る、って?
 ようやく意味を理解した江藤は、思わずきょとんとした顔で問い返してしまった。
「なんで?」
「――え」
 今度は冴木がぽかんとした顔で江藤を見返す番だった。しんと静まり返る部屋の中、二人は目を合わせたまま暫く固まる。
 一瞬真っ白になってしまった頭の中にも、何度か呼吸を繰り返す内に徐々に色が戻り始める。それと比例して、江藤の全身は羞恥に熱くなっていった。
 自分は一体、何を言ってしまったのか。
 我に返った江藤は慌てて口元を覆い、真っ赤に染まった顔を隠すように俯いた。懸命に、だが相当ぎこちなく、場をごまかそうと試みる。
「――あ、いや、そ、そうだよな。お前寮生なんだから門限だってあるし、それに」
 意味なく小さな頷きを繰り返す江藤に、冴木は静かに問い返してきた。
「いいの?」
 江藤の動きが再び止まる。
 それは、帰らなくていいのか、という意味だけではないのだろう――多分。
 真剣な声音に、含まれている別の意味までもを感じ取り、江藤はますます頬を染めた。しかし改めて頷くことが恥ずかしくて、目線を外したまま動くことが出来ない。
「いいの?」
 冴木はもう一度繰り返した。仕方なく、俯いたままボソボソと返す。
「い、いやあの、別に無理にとは…ていうか」
 よく考えたら何で逆なんだ。普通そっちが先に「泊まっていい?」とか言って、こっちが一応「今日は帰りなさい」とか言ってみせる立場じゃないのか?
 教師としてとか年上としてというよりは、恋人としての立場が優先されるのはいいとしても。
「なんか違う気がする…」
 ぽそりと漏らされた呟きに冴木は笑い出し、江藤の体を自分の方へ引き寄せた。
「先生、もしかして最初から、今日はずっと一緒にいてもいいって思ってくれてた?」
「……」
 この場合、無言は肯定も同じである。
 冴木は嬉しそうに、江藤を抱き締める腕に力を込めた。
「…俺さ、こんなふうに二人きりになれて、凄く嬉しかったんだけど、正直ちょっとヤバイなとも思ってて。でも、すぐにがっついたりしたら、いかにも子供かなって――だから、必死に我慢してたんだ」
 ああ、だからさっきも――
 蘇った昼間の記憶に何故かこちらが恥ずかしくなったが、別の部分にも思い至る。
「……あのな。それじゃ、俺の方が堪え性のないガキみたいじゃないか」
 赤い顔のまま憮然とした声を出した江藤は、だが小さく息を吐いて、苦笑を零した。
「…まあ、そうかもな」
 ぽつりと呟いて、そのまま冴木に体を預ける。
 帰したくないと思ったのは事実だ。誰にも邪魔されない、穏やかな二人きりの時間を終わらせてしまうのがいやだった。
 我慢のきかない子供と言うならそれでもいい。
「冴木」
「うん?」
 顔を上げた江藤に視線を合わせる為、冴木の腕が少し緩む。
「帰るのは明日にしろ」
「…うん」
 頷いた冴木は、幸せそうな笑みを浮かべたまま、江藤に口付けた。
 柔らかな弾力を楽しむ余裕もなく、すぐに滑り込んできた舌に頭の奥まで掻き乱される。冴木とこういったキスをするのが初めてではなかったが、耳元や項を撫でてくる指先が、常にはない刺激となって、江藤の心情を昂ぶらせた。しかし背中を辿って降りたその指がふいにシャツを捲り上げたのに気付いて、江藤は少々慌てた。一旦唇を離し、相手の服を引っ張る。
「えと、なあ、シャワーくらい浴びないか」
「ごめん、何か急に我慢出来なくなった」
 その言葉通り、冴木の手は些か性急に江藤の素肌をなぞり始めた。せめて場所を移動したいと訴えたが、冴木はなかなか江藤を捕らえていた腕を緩めてはくれず、少々暴れて何とか言うことを聞かせたような有様で。
 けれど、そんな相手を可愛いと思ってしまう自分が、江藤は何だかおかしかった。冴木の腕を引き、部屋の奥へと促しながら、江藤は知らず柔らかい笑みを浮かべていた。







 互いに素肌を晒してしまうと、相手と触れ合っている部分全てが熱くて堪らなくなった。
 ベッドへ移動したことで逆に少し冷静さを取り戻したのか、冴木の指先は先程とは違い、優しい動きで江藤の躰を開こうとしている。
 耳元や首筋に擽るような口付けを落とされていた時はまだ相手の髪や項を撫でる余裕があった江藤だが、ふいに胸の頂を摘まれて、びくりと腕が震えてしまった。
「痛かった?」
「そ…じゃない、けど」
 頬を紅潮させたまま首を振った江藤を見て、冴木は少し微笑んだ。自己主張をするようにぷつりと勃ち上がったそこを、細い指がそっと押し潰す。そのまま反対側の突起を口に含まれて、江藤は思わず声を上げた。
「あっ…ん…」
 小さな粒を舌や指で撫でられて、そこからじわじわと淫猥な感覚が広がっていく。冴木の長い髪が肌の上を滑る、さらさらとした感触が、更に江藤を煽った。
「さえ…き…」
 相手を呼ぶ声は、自分でも恥ずかしくなる程甘い響きを含んでいた。しかし敏感な突起を酷く丁寧に弄られて、躰はますます昂ぶるばかりだ。その上冴木は、空いていた方の手を江藤の脇腹へと滑らせ、そのまま足の付け根の辺りをさわさわと撫で始めた。
「…っ」
 漏れそうになった声を、唇を噛み締め封じ込める。だが、既に形を変えていた情欲の中心に手を伸ばされ、縛めはすぐに解かれてしまった。
「ぁ…あ…っ」
 緩く揉みしだかれ、無意識に腰が揺れる。じわりと滲んできた蜜液を指先が掬い、そのまま先端に塗り広げるような動きをした。湧き上がる快感に翻弄され、縋りつくものを求めた江藤の腕が、相手の背に回る。
 ふと顔を上げた冴木と目が合い、江藤は小さく名前を呼んだ。冴木は笑みを浮かべることで応え、頭を引き寄せられるに逆らわず、江藤からの柔らかい口付けを受け止める。唇を重ねている間も相手の芯を擦る動きは止めず、自分の胸元や腹部をさ迷う指先が微かに反応を返すのを楽しんでいたのだが、その指が不意に熱を孕む自身に触れたのに驚いて、冴木は思わず唇を離した。
 自分がしているのと同じように、指を絡め、擦り上げてくる。情欲を滲ませた瞳で見つめられ、冴木の背中がぞくりと震えた。
「…先生……」
 途端に質量の増したそれを更に追い上げようと、江藤はもう一方の手も添えてくる。強弱をつけながら扱かれて、冴木は一瞬眉を寄せ、そっと江藤の手首を押さえた。不思議そうな顔で見上げてくる江藤に、苦笑を返す。
「ごめん、ちょっと、マジでヤバイ…から」
 江藤に施されている、そう認識するだけで、僅かな愛撫でも堪らない刺激となる。最初からあまり余裕があったとは言えない冴木だったが、さすがに自分だけ先に達してしまうのには抵抗があった。
 それに。
「別に、我慢することないのに」
 止められたのが不満なのか、江藤は拗ねたように唇を尖らせている。小さく笑った冴木はそこへ触れるだけの口付けを落とし、
「ん…でも」
 江藤の瞳を覗き込みながら、そっと指を滑らす。
「手じゃなくて、ここがいいんだけど」
 濡れた指先が江藤の双丘をなぞり、尤も奥まった部分に触れた。びくんと跳ねた躰を抱き締めて、耳元で囁く。
「…いい?」
 指を当てられている場所がひくりと慄いたのが判る。不安がないと言えば嘘になるが、江藤の答はすぐに決まった。相手を求めているのは自分も同じだ。冴木がそういう形を望むというのなら、別に構わない。
「……ん」
 小さく頷いて、冴木の躰を抱き返す。重なった胸から熱と鼓動が伝わる、それは互いの歓びを相手の躰に浸透させ合う行為だった。輪郭を失い、溶け合っていくような恍惚に、江藤はただ身を任せ、瞳を閉じた。







「…先生、大丈夫?」
「………」
 肯定するのも否定するのも難しくて、江藤はただ優しく抱き締めてくる冴木の腕をそっと撫でた。やたらと丁寧に解されたお蔭で、怪我などはしていない。しかし、前後から同時に与えられる快感に半ば我を失い、遂情したのも一度ではなかった。零れる声を押さえることすら出来ず、最終的に翻弄されていたのはどう考えても自分の方で、そのことがかなり恥ずかしい。頬を紅潮させたまま目を逸らす江藤とは対照的に、隣りに横たわる冴木は実に幸せそうな笑顔で、腕の中の恋人にいくつもの口付けを落としている。
 初めは随分と余裕がなさそうだったクセに、と少々悔しくなった江藤は、反撃のつもりで口を開いた。
「そう言えば」
「ん?」
 顔を上げた江藤に、冴木が視線を合わせてくる。その頭を軽く撫でて、江藤はわざとらしく笑った。
「お前、昼間ビデオ見てた時、よく我慢出来たな」
 一瞬目を見開いた冴木が、僅かに頬を染める。
「…気付いてたの?」
「そりゃ、あんだけくっついてれば気付くって」
 うわ、俺超かっこわりぃ、と頭を抱えた冴木がちょっと新鮮で、江藤は思わず笑いを零した。全く、大人なんだか、子供なんだか、よく判らない。
 けれどそれは多分、自分も同じで。
「先生もしかして、密かに呆れてた?」
 照れ臭そうにこちらを窺う冴木が、妙に可愛く、そして愛しい。江藤は小さく首を振った。
「…いや。ドキドキしてた」
 動きを止めた冴木に構わず、江藤は続ける。
「ずっとドキドキしてたよ。なのにお前、あっさり帰るとか言うし。こっちの身にもなれっての」
 軽く小突くと、冴木は複雑そうな表情を浮かべた。微かな溜息を吐くと、江藤の額に、自分の額をくっ付ける。
「あのさ、先生こそ俺の身になってよ」
 そんなこと言われるとまた暴走しそう、と呟く冴木に、江藤は微笑む。
「ま、多少の暴走は許してやるよ」
 オトナだから。
 殊更にそう付け足した江藤に、冴木は何度か瞬きをしてから、小さく笑い出した。
「そうやって甘やかすと、後が怖いよ?コドモは調子に乗りやすいんだから」
 言葉とは裏腹に、見つめてくる冴木の瞳は酷く温かな色を宿していて、自分の方がよっぽど甘やかされている気がする。髪を梳く細い指に、毛先を弄ばれる感触がくすぐったい。
 頬を辿り始めた冴木の指先に、江藤はそっと自分の掌を重ねた。そのまま少し力を入れて相手の手を肌に押し当ててみると、指先が他の部分より少しだけ硬いことが分かる。
 小さな不思議を生み出す手は、江藤の中のさまざまな感情を引き出し、時に翻弄しながらも、柔らかな温もりを伝えてくる。溶け合うような心地好さと体温を共有出来る嬉しさが、江藤の心の中にある暖かい気持ちを、丸く包んでいた。
 優しい笑顔を返してくれる冴木が、同じ色の幸せを感じていることを願いながら、江藤は再び重ねられた唇の甘さをそっと受け止めた。





END





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